結婚しました
婚約指輪をなしにしたので結婚指輪は気に入るの見つかるまで随分探しました。malcolm bettsの細いやつ。外側がプラチナで内側が金でほかのアクセサリーとあわせやすい。満足
だいぶ長いこと放置していたと思えば突然何をという感じかもしれませんが、このたび入籍いたしました。
ただ、入籍してもしばらくは今の家で1人暮らしなので実感はとんとなく、スープダイエットに励んだり挫折してポテチ食べて夜中に胃もたれで苦しんだり、スープダイエットに再チャレンジして、その途中で耐えられずにカレールー投入してカレーうまうましたりと自由気ままな1人新婚生活をエンジョイしています。
30代同士の結婚ですし派手なことはしませんが、一応秋に親戚への顔合わせも兼ねてこぢんまりとささやかな披露宴(というか食事会)を京都市内で催そうかなという感じです。
あと、ずっと結婚はまだかーまだかーと言っていた父が、いざ婚姻届の保証人のとこに署名する際には「本当にするのー?」「名字変わっちゃうよ?」「あっ、今日判子持ってない!(横から母がさっと出した)」など不審な挙動をしており、ちょっとおもしろかったです。
雑記
・先日、90歳になる祖父がついに私のことを忘れてしまった。
・一方、最近82歳の妹と会ったという85歳の祖母は、「あの子、近頃は子供時分の話しかしぃひん」とこぼし、その後「でもあの子が子供の頃はね…」とやっぱり自分たちが子供だった頃のことを延々と話し続ける。
・結婚のことを考えることは、自分の未来を考えることで、未来のことを考えるときには自分のきた道を振り返らざるをえない。それが、少ししんどくなってきた。何を手にして、何を失ってきたのか、なんて陳腐な歌詞のようなことが浮かんでは消えまた浮かんでは消え。手の中からするすると抜け落ちていく過去の断片をぼんやり見つめながら、時折、あっと声が出そうになる。だけどすでに手から離れてしまったものを拾うことはできない。そんな感じ。凡庸。
・凡庸であることに傷つくような年齢はとうに過ぎているので、それ自体は何も思わない。むしろ私を傷つけたのは、傷つけつつあるのは、なんだろう。
・自分を、今の環境を変えたくないとうのはわがままにすぎると思うし、別の場所に飛び込んだら飛び込んだでけっこう楽しんでしかもわりとうまい事やるんだよなーと自分のことはわりとポジティブに捉えているのだけど、彼と私の生活の変化の大小を天秤にかけたら、というか天秤にかけるまでもなく私のほうの変化が多大だということに小さな不満がある。女。女。どこまでいっても。だけどそれは結局自分自身の責任でしかない。養ってやると言える力を持つ女性だって大勢いるのだから。選ぶ側じゃなくて、選ばれる側にしかなれないのは他の誰でもなく自分のせいなのだ。
・石橋を叩き割るタイプやな、と元上司に言われたことばを度々思いだす。きっとそうなのだろう。これまでに何度も壊れてしまった橋と、渡れなくなった向こう岸を眺めながら、落胆と焦燥とそして安堵を感じてきた。そして私はまた目の前の橋を性懲りもなく叩き始めている。そうしなければならない言い訳を、その行為を正当化するための言葉をたっぷり用意して。
・今年の紅葉はきれいだろうか。きれいだといいなぁ。
・このブログの雑記の頻度の高さどうよ
雑記
・夏の間は、アイスアイスごはんアイスアイス、みたいな食生活を続けていたのですが、夏が衰えだすとアイスの種類が氷菓やミント系などのさっぱりしたものからどっしりしたチョコレート系に変わってきます。不健康とわかっていますが、もうしばらくはたぶんこんな感じです…。
・人に借りた山崎ナオコーラさんのエッセイ集を読了。“書きたい小説”についてかなり熱っぽく、率直な言葉で書いてあって、微笑ましいような気恥ずかしいような気持ちになってしまった。
・ちょうどネットでこのあたりの記事を読んでいて、親に愛されて育った人の精神的基礎体力や性格・性質の傾向みたいなものをぼんやり考えていたのだけど、ナオコーラさんはきっと「父に愛された娘」なんだろうという気がした。あと、これはなんとなくだけど、HKTの指原さんも。
・なりたい自分や達成したいことを周囲の人に表明するのは意外と勇気がいることだと思うのだけど、愛情面で育ちのいい人はそれをためらわない傾向がある気がする。私はやっぱり苦手なほうなのだけど、その理由を考えたら「達成できなかったときに恥ずかしい(何か言われる)」くらいなもので、公言することで得られるかもしれない理解や賛同、それによる協力を思えばそんなの小さなことなのかもしれない。
・先回りして心配したり、考えすぎて動けなくなったりするのはやめていこう。(と、自分に言い聞かせる)
・おいしいチョコレートアイス情報求めています。
そら豆のサラダ
うつわ:井山三希子 粉引面取りボウル、富井貴志 カッティングボード(楢)
茹でたそら豆は、うちの犬の足と同じにおいがする。スナック菓子みたいな香ばしいにおい。それに気がついたのは3年くらい前の話で、元々好きだったそら豆をそれからもっと好きになった。だけど、人とそら豆を食べているときにそのことを話すと大抵微妙な顔をされる。
そら豆はおいしいし、うちの犬はかわいいのだからいいのにと思うけど、そういえば私も別に人の家の犬をそれほどかわいいとは思わないのだった。自分のものは実際より悪く見えるかよく見えるかどちらかで、フェアな批評をするのはとても難しい。
あと、そら豆のさやの内側はどんな布団よりも気持ち良さそうに見えるので、夢の中でもいいのでいつかそこに横たわってみたいと思う。
そら豆は塩、胡椒、オリーブ油、白ワインビネガー、パルミジャーノ・レッジャーノと和えてサラダにしました
巡る季節と春のごはん
菜の花と厚揚げの炊いたの、新玉ねぎのサラダ、新玉ねぎ入りつくねの照り焼き/うつわ:上から時計回りに 岸野寛 灰釉菊形皿6寸 横山秀樹 モールコップ 岡崎勉 灰釉片口鉢 古谷宣幸 種子島向付
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仕事帰り、落ちきらない陽がうす赤く山際を染めているのを見て、随分日が長くなったなと思った。暑くなったり寒くなったり花を咲かせたり散らせたりしながら季節はぐんぐん進んで、新緑の季節はもう目の前にある。
春の食材をたっぷり食べたいと思いながらも品数の少ない一人暮しの食卓ではそれもままならず、気がつけばうすい豆も食べないままにナスやキュウリや茗荷などスーパーの棚にじわじわと夏が進出してきてしまっている。それでもなんやかんや作っては食べている今日このごろ。
ちなみに、最近作ったのはこんなの。
そら豆の翡翠煮/うつわ:横山秀樹 鉢
あさりと水菜の潮汁/うつわ:猪狩史幸 盛椀
筍ごはん/うつわ:岸野寛 灰釉飯碗
先日、店にきた小さな男の子が私のことをいたく気に入ってくれて、私の腰にぴたりと張り付いたまま離れようとしなかった。小さくてむくむくした手や、絹糸みたいに細くなめらかな髪、つるつるした頬を赤く染上げる血管がかわいい。
「初恋かなー?」とその子のお母さんが笑ったので、それを受けて私も笑う。男の子は私のブラウスの裾をぎゅっと握る。更にかわいい。今年31歳になる私でよければ、存分に恋したまえという気分になる。そして、あなたもいつか本当の恋をするんだよ、と思う。
手も髪も頬も何もかも、これからぐいぐい大きくなってもう二度と今のサイズには戻らないし、私のブラウスの裾をちぎれんばかりに握るその小さな手はじきに誰かの手を引くようになるのだろう。
日々、冴えていく木々の緑。
変わらぬ季節の巡りに心励まされ、けれど時間は二度と戻らないのだと強く思う。
雑記
・以前、このブログで30歳の別れには30歳の別れの悲しさがあると書いたのだけど、言霊なのかなんなのか実際に30歳のいま、ひとつ大きな別れをした。どれだけつらいのかと想像していたけれど、確かにとてもつらくはあったけれど、それ以上に何か大きく重いものを肩からおろしたような爽快感と安堵があった。
・本当はもっと前に、具体的には3年前にそうしておくべきだったと思った。
・この3年間、進むほどに溶ける泥舟に乗っているような感じで、それでもせっかく作った船だからと降りられなかった。どちらも心の底では逃げ出したかったのだと思う。私も彼も、もっと早く降りるべきだった。
・6年程前の1番つらかった時期を共有し支えてくれたのが彼で、その感謝はいつからか呪縛に変わったのだと思う。彼以外に私のことを真に理解してくれる人はいないのだと、他につき合っている人がいてもいつも思っていた。まさに呪縛だ。だって、そんなことは本当は全然ない。ないのに。
・男と女は異性間の恋愛を超えたつきあいをしていても(それ自体が錯覚なのかもしれないけど)、結局別れたら他人になるのだと思ったら、むなしくなったけど楽になった。
・なにやらいろいろ軽くなったので、違う場所に行けそうな気分になっている。