ただしい言葉で、ただしい痛みを

人が簡単にできることがなかなかうまくできなくて、それはいつからかなぁと思ったら、もうすごく前から(幼児のころから)そんな感じだったことを思い出して、じゃあ諦めるしかないよねってわかったら、気持ちは少し楽になった。小学校に上がる前、お医者さんにどこが痛いのと聞かれて、知らない大人を前に私はうまく言葉がでずに、横にいた母に「言って」って目で促した。母が口を開こうとしたとき、お医者さんが「君はお人形じゃないでしょ。自分でいいなさい」とピシャリと言い放って、私はもうそれきりそこのお医者さんに行くことができなくなった。あのとき私はどこが痛かったんだっけな。痛い場所をきちんと言えたのかどうかもさっぱり覚えてない。もう一度あの病院に行って、お医者さんの目をひたと見ながら痛みを訴えることができたら何か変わってたんだろうか。自分の体のどこが痛むのかちゃんとわかって、よく知らない人にそれを正しく伝えられる大人になったのだろうか。大事なときに、私の声はいつも出なくなって、私はいつもあとで少しだけ自分を責める。 *1

*1:すごいおおげさにかいていますが、ヨドバシ京都にレンズを買いに行ったときに、ほしいレンズについてきちんと店員さんに説明できなかっただけです。店員さんがわーっとレンズの説明をしだしたのに気押されて、あうあう言ってるだけで終わってしまった…。無念。