私を作る味


たまに猛烈にソース味のものを欲するときがあるのですが、夜は炭水化物をとらないようにしているので写真のようにお弁当にお好み焼きを持っていくことになります。

街の数だけお好み焼きがあると何年か前のMeetsには書いてあったけれど、ほとんど外食をしない家で育った私にとっては家族の数だけお好み焼きがあるというほうがしっくりきます。ちなみに、うちの実家は父が昔広島の大学に通っていたことがあるせいで、京都×愛知という組み合わせの夫婦のくせにお好み焼きは広島風でした。

しかも焼くときに上からぎゅうぎゅう押し付けるものだから、できるお好み焼きはぺったんこで、たいしておいしくはなかったのですが好物でした。というか、味云々ではなくホットプレートを前に普段料理をしない父が妙に張り切ってあれこれしているのが好きだったのかもしれません。(豚肉は先に焼くとかキャベツの切り方とかソースは2種類を混ぜて使うとか、いろいろうるさかった)

お好み焼き、トンカツ、オムレツ、卵焼き、具のないインスタントラーメン、ほうれんそうのごま和え。父に作ってもらった料理はそんなに多くなくて、だからなのかどれもはっきり覚えています。

とりわけ印象深いのがオムレツで、父が作るオムレツは中にコロッケのタネに似た具がたっぷり詰まっていました。「これはお父さんが貧乏な学生だったときによく作ったんだ」と父が話してくれたことがあったため、私は心の中でこれを「貧乏オムレツ」と呼んでいます。隠し味というわりに隠しきれていない砂糖の甘味がいかにも舌も懐も貧弱な学生が作りそうな味で、だけど、おいしそうに食べると父がうれしそうにするものだから、おいしいおいしいと言って食べていたら知らない間に本当に好きになってしまったオムレツ。だから、自分好みにアレンジを加えてはいるけど、実家を離れて一人暮しになった今もたまに作って食べています。

思い出すのは、中学3年生のある時のこと。
母が不在の日曜の昼、2つ上の兄が貧乏オムレツを前に「またこれ?俺、これあんまり好きじゃない」と言い放ったことがあります。私はその瞬間、内蔵がきゅーっと縮んだような気がして、咄嗟に「じゃあ私がお兄ちゃんの分ももらう!わたしこれ好き!」と言ったのでした。兄は思ってもみない私の反応と声のボリュームにちょっと驚いたような顔をしながら「馬鹿か。俺が食うものなくなるだろ」と一言。だけど、その時自分の反応に驚いていたのは私も同じでした。

誰にでも経験があることだと思うのだけど、食べものは時にその人の人生を内包するようなところがあって、ただ一皿の料理が過去の大切な記憶と繋がることで特別な意味を持つことがあります。貧乏オムレツは父にとってそういうものだと認識していた私にとって、それを好きだと表明することは父のことを好きだと表明するのと同義でした。そして、反抗期真っ只中にあった当時の私にはそれがとても大事なことだったのだと思います。だからその時、兄の突然の言葉に激しく動揺するとともに嫌悪を覚えたのだと気がついたのは、そのしばらく後のこと。気がつくと同時に湧いてきたのは、鈍感な兄への小さな怒りと軽蔑でした。

でも最近はあの頃、兄は私と同じことを貧乏オムレツに感じていたんじゃないか、とちょっと思います。感じていながら、あえて言ったんじゃないかなぁ。
娘から見る父と、息子から見る父はどれほど違うのだろう。
私にとってはただひたすら優しい父だったけれど。


タッパーに詰まった冷たいお好み焼きを頬張りながら私の思考はどんどん過去に潜り、その途中で、あー本当に食べることで人は作られていくのだなーと思ったのでした。