雑記

夕方、夫と連れ立って家の近くを散歩していたら山椒の木があった。野良の山椒だ。まだ若い葉を、被っていた帽子にいっぱいになるまで摘みいれたら手のひらが山椒の香りになった。手が山椒になったよ、と夫の鼻先に差し出すと、こっちの手も、と今度は私の鼻先に大きな夫の手のひらが差し出された。子どもみたいだなぁと思う。子どもみたいなやり取りを、ここに来てからたくさんしてきた。暑いねーとか、空が青いねーとか、そんなどうでもいいことを言うと、暑いねーとか雲ないねーとかどうでもいい、こだまみたいな答えが返ってくる。

私たちは、日々いろんなどうでもいいことを、言葉を頭に浮かべて、だけどどうでもよすぎるからそれを誰に伝えるでもなく忘れていく。1人でいると本当にそうだ。散歩のとき、ごはんのとき、映画を見ているとき、お皿を洗っているとき。

別にそれを気に留めたことはなかったけど、こだまみたいに返ってくる言葉に私は確実に小さく救われているような感じがする。彼も、そうなんじゃないかとうっすら思っている。おもしろくなくても、気がきいていなくても、意味がなくても、発言していいし手を伸ばしてもいい人が近くにいるというのは、それだけで自分の心を少しだけ強くする。

鼻先に表れた手のひらからは、山椒の鮮烈な香りと一緒に、さっきまで彼がこねていた土の香りがしていた。そのにおいを吸い込んだら、夏はもうすぐそこまできているような気がした。