雑記

夕方、夫と連れ立って家の近くを散歩していたら山椒の木があった。野良の山椒だ。まだ若い葉を、被っていた帽子にいっぱいになるまで摘みいれたら手のひらが山椒の香りになった。手が山椒になったよ、と夫の鼻先に差し出すと、こっちの手も、と今度は私の鼻先に大きな夫の手のひらが差し出された。子どもみたいだなぁと思う。子どもみたいなやり取りを、ここに来てからたくさんしてきた。暑いねーとか、空が青いねーとか、そんなどうでもいいことを言うと、暑いねーとか雲ないねーとかどうでもいい、こだまみたいな答えが返ってくる。

私たちは、日々いろんなどうでもいいことを、言葉を頭に浮かべて、だけどどうでもよすぎるからそれを誰に伝えるでもなく忘れていく。1人でいると本当にそうだ。散歩のとき、ごはんのとき、映画を見ているとき、お皿を洗っているとき。

別にそれを気に留めたことはなかったけど、こだまみたいに返ってくる言葉に私は確実に小さく救われているような感じがする。彼も、そうなんじゃないかとうっすら思っている。おもしろくなくても、気がきいていなくても、意味がなくても、発言していいし手を伸ばしてもいい人が近くにいるというのは、それだけで自分の心を少しだけ強くする。

鼻先に表れた手のひらからは、山椒の鮮烈な香りと一緒に、さっきまで彼がこねていた土の香りがしていた。そのにおいを吸い込んだら、夏はもうすぐそこまできているような気がした。

雑記

もう何年も前のことになるのだけど丸谷才一の「笹まくら」を読んだ。すばらしい小説で、読んでいるときはもちろん、その後もずっとその物語が自分から離れていかないような感覚がある。物語は戦中、徴兵から逃げた男の話だ。赤紙が来たその夜に家を抜け出し、そのまま終戦までを放浪して暮らした男。その男は戦後、大学の事務員として働き、結婚もし、子どももいる。普通の暮らし。だけどあの日逃げ出したことがずっと負い目となり男はずっと何かに追い詰められたかのような心持ちで暮らしている。そんな暮らしはだんだんうまくいかなくなる。最初は1章ずつ過去と現在を行ったりきたりしていたが、後半になるにつれその間隔は狭くなり、最終盤には章立ても行あけもなく過去と現在が入り乱れる。ただ振り回されるように読み進め、読み終わった直後は放心状態。しばらくして私に残ったのは、遠ざかったはずの過去が時がたてばたつほど身近に迫ってくる恐怖だった。

遠ざかって薄れていくはずの過去が、その取り返しのつかなさゆえにむしろ段々と近づき迫ってくるという感覚だけがべったりと張り付いてしまっている。過去にとらわれるな、変えられるのは未来だけだというけれど、この先どんどん過去ばかりが拡張して変えられる未来は縮小していく。変えられると思った未来が過去に塗りつぶされて、逃れられると思っていた過去が気づけば背中に重く張り付いて、身動きがとれなくなるんじゃないのか。そんな怖さがあの小説を読んで以来離れなくなってしまった。

ただ、今、ここ。
そんな風に生きれたらきっと楽なんだろうなと思う。過去への執着も、未来への希望も持たず、ただいまここだけを懸命に生きる。

話は変わって、私は来年いま住んでいる場所の横に家を建てることになった。いまの二人が建てられる小さくささやかな家だけど、それでも私にとっては大きな買物であり、いままさに背負おうとしている過去という感じがしている。どんだけネガティブなんだよという感じもするけど、これまで住んできた家はみんな実家も下宿先のアパートも就職してから住んだ母持ちの分譲マンションもいつかそこを出ることが前提の「家(仮)」だったことを思うと、なんかすごいことを決断しちゃったな、みたいな気持ちになる。しかも実際には決断というより、行きがかり上そうなったみたいなところもあるし。だけどそれが怖いからと逃げ出したら、今度は逃げたことが逃げられない過去になる。何かを選ぶということは、何かを選ばなかったということなんだ。当たり前だけど。(のっちのインタビューを思い出した)

改めて、いまここ、と思う。これまで通った無数の分岐点で行く先を選んで立っているいまこの場所。これから先も、どこに行くかはわからないまま何かを選んで何かを選ばずに進むしかなくて、その度にいろんな感情が去来するのだろうと思う。願わくば、あの時選ばなかった人やことやものを、それでもせめて時々思い出していたい。それが呪いだとしても、手に入れたものだけでなくて手放したことで得た今なのだということを忘れずにいたい。手放したけれど、今の私に繋がるものなのだと思い続けていたい。

雑記


奄美大島に115年ぶりの雪をもたらした寒気も去り、冬の太陽が薄く長い陽だまりを床に落とす午後。

一昨年の秋に14年間暮らした京都から奈良に転居。結婚した人は陶芸家で、自宅は工房とガラス扉1枚を隔てて隣り合っているような環境で暮らしています。朝昼晩と顔をつき合わせて食事を取り、彼が仕事(制作)をしているときもずっと相手の気配はあるので、同居してまだ1年と少しですが共働き夫婦の5年分くらいの時間をすでに一緒に過ごしているような気がします。

私は1歳から乳児用保育園に預けられて育ったので、1人の人とこれだけみっちりと一緒にいるのってもしかしたらそれ以来のことなんじゃないの…? となり、これから先に彼と過ごす時間の膨大さになんだかクラクラとしてしまうのでした。昔患った病気の影響でどうも子供も難しめなようなので、これから何十年という歳月を彼と、ほぼ二人きりで…! はー、やっぱりなんだかクラクラするー

働きに出ることを考えもするけれど、奈良の街に出るまででも車で1時間弱かかることを思うと二の足を踏んでしまうのも事実。在宅でできるような仕事があればいいのかな。これはちょっと検討しよう。
専業主婦の日々は、家事が苦にならないタイプである自分には天国すぎて「こんな極楽ゴキゲンな日々を送っていたらそのうち何か罰が当たったりするのでは???」と怖くなるのですよねー。

ただ、山での暮らしは不便もありつつやはり楽しいです。不便さに関していうと、ここに来た頃はネット環境もTVもなく、携帯の電波もリビングの一角でやっと通話ができるくらいの微弱さで、世の中の情勢を知ろうと思ったらラジオのみが頼り。水道は通ってないないので井戸水(しかも来たばかりの頃に1度枯れた!)で、お風呂場以外の蛇口からはお湯が出ず…という環境で、事前に聞いてはいたものの、実際に暮らしてみたらやっぱりつらいなぁと若干元気を失いかけていたのですが、冬が来る前にキッチンに瞬間湯沸かし給湯器を設置してもらい、春にようやくネット環境が整ってからは、ここでの生活に慣れたこともあり見る見る生気を取り戻していったのでした。思えばあの半年間、街に行けば血眼でwifiを探していたなぁ。

楽しさはというと、季節が近いところがすごくいい。毎朝、起きて身支度をしたら1時間弱の散歩をするのですが、今なら今日は霜で一面真っ白!とか、昨日の風でヤブツバキが道一面に落ちているとか、陽の色、風のにおい、霧の濃淡、1日だって同じ朝はないなーみたいなのが、目に肌にぶわっと迫ってくるような感じです。あと、野鳥がめっちゃいる。そして野鳥に詳しい夫がいちいち今鳴いた鳥の名を教えてくれる(覚えられない)のも楽しいです。

結婚を決めたとき、これまでの生活とかけ離れた嫁ぎ先の環境にそれなりの不安はあったのだけど、来てみればやっぱり良かったなと思います。犬ものびのび楽しそうにしているし、初めて飼う猫もかわいい。昔、勤め先の上司に「石橋を叩きすぎで壊すタイプやな」と言われたことのある私ですが、エイヤっと飛び込んでよかったな。

結婚しました


婚約指輪をなしにしたので結婚指輪は気に入るの見つかるまで随分探しました。malcolm bettsの細いやつ。外側がプラチナで内側が金でほかのアクセサリーとあわせやすい。満足

だいぶ長いこと放置していたと思えば突然何をという感じかもしれませんが、このたび入籍いたしました。

ただ、入籍してもしばらくは今の家で1人暮らしなので実感はとんとなく、スープダイエットに励んだり挫折してポテチ食べて夜中に胃もたれで苦しんだり、スープダイエットに再チャレンジして、その途中で耐えられずにカレールー投入してカレーうまうましたりと自由気ままな1人新婚生活をエンジョイしています。

30代同士の結婚ですし派手なことはしませんが、一応秋に親戚への顔合わせも兼ねてこぢんまりとささやかな披露宴(というか食事会)を京都市内で催そうかなという感じです。

あと、ずっと結婚はまだかーまだかーと言っていた父が、いざ婚姻届の保証人のとこに署名する際には「本当にするのー?」「名字変わっちゃうよ?」「あっ、今日判子持ってない!(横から母がさっと出した)」など不審な挙動をしており、ちょっとおもしろかったです。

雑記

・先日、90歳になる祖父がついに私のことを忘れてしまった。

・一方、最近82歳の妹と会ったという85歳の祖母は、「あの子、近頃は子供時分の話しかしぃひん」とこぼし、その後「でもあの子が子供の頃はね…」とやっぱり自分たちが子供だった頃のことを延々と話し続ける。

・結婚のことを考えることは、自分の未来を考えることで、未来のことを考えるときには自分のきた道を振り返らざるをえない。それが、少ししんどくなってきた。何を手にして、何を失ってきたのか、なんて陳腐な歌詞のようなことが浮かんでは消えまた浮かんでは消え。手の中からするすると抜け落ちていく過去の断片をぼんやり見つめながら、時折、あっと声が出そうになる。だけどすでに手から離れてしまったものを拾うことはできない。そんな感じ。凡庸。

・凡庸であることに傷つくような年齢はとうに過ぎているので、それ自体は何も思わない。むしろ私を傷つけたのは、傷つけつつあるのは、なんだろう。

・自分を、今の環境を変えたくないとうのはわがままにすぎると思うし、別の場所に飛び込んだら飛び込んだでけっこう楽しんでしかもわりとうまい事やるんだよなーと自分のことはわりとポジティブに捉えているのだけど、彼と私の生活の変化の大小を天秤にかけたら、というか天秤にかけるまでもなく私のほうの変化が多大だということに小さな不満がある。女。女。どこまでいっても。だけどそれは結局自分自身の責任でしかない。養ってやると言える力を持つ女性だって大勢いるのだから。選ぶ側じゃなくて、選ばれる側にしかなれないのは他の誰でもなく自分のせいなのだ。

・石橋を叩き割るタイプやな、と元上司に言われたことばを度々思いだす。きっとそうなのだろう。これまでに何度も壊れてしまった橋と、渡れなくなった向こう岸を眺めながら、落胆と焦燥とそして安堵を感じてきた。そして私はまた目の前の橋を性懲りもなく叩き始めている。そうしなければならない言い訳を、その行為を正当化するための言葉をたっぷり用意して。

・今年の紅葉はきれいだろうか。きれいだといいなぁ。

・このブログの雑記の頻度の高さどうよ

雑記

・夏の間は、アイスアイスごはんアイスアイス、みたいな食生活を続けていたのですが、夏が衰えだすとアイスの種類が氷菓やミント系などのさっぱりしたものからどっしりしたチョコレート系に変わってきます。不健康とわかっていますが、もうしばらくはたぶんこんな感じです…。

・人に借りた山崎ナオコーラさんのエッセイ集を読了。“書きたい小説”についてかなり熱っぽく、率直な言葉で書いてあって、微笑ましいような気恥ずかしいような気持ちになってしまった。

・ちょうどネットでこのあたりの記事を読んでいて、親に愛されて育った人の精神的基礎体力や性格・性質の傾向みたいなものをぼんやり考えていたのだけど、ナオコーラさんはきっと「父に愛された娘」なんだろうという気がした。あと、これはなんとなくだけど、HKTの指原さんも。

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論
花火のあとで/傘をひらいて、空を

・なりたい自分や達成したいことを周囲の人に表明するのは意外と勇気がいることだと思うのだけど、愛情面で育ちのいい人はそれをためらわない傾向がある気がする。私はやっぱり苦手なほうなのだけど、その理由を考えたら「達成できなかったときに恥ずかしい(何か言われる)」くらいなもので、公言することで得られるかもしれない理解や賛同、それによる協力を思えばそんなの小さなことなのかもしれない。

・先回りして心配したり、考えすぎて動けなくなったりするのはやめていこう。(と、自分に言い聞かせる)

・おいしいチョコレートアイス情報求めています。