好きなもの、好きだったもの、好きになったもの。
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してあげられたことよりも、してあげられなかったことばかりを考えてしまう夜がある。
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去年の夏に犬を亡くし、想像できなかった犬のいない暮らしも8ヶ月が過ぎました。
亡くしてしばらくは家のそこかしこに残る犬の痕跡にいちいち反応しては落涙し、時には過呼吸みたいになってしまうこともありましたが、時間薬とはよく言ったもので8ヶ月の間に気持ちはずいぶん楽になりました。
かわいかったな。もっと面倒みたかったな。長い間一緒にいてくれてありがとう。いつか私がそちらに行くときには迎えにきてくれたらうれしいな。その時はどっちもちょっと若返ったりしてるのかな。一緒に走って行けたりするのかな。
居間の一角につくった祭壇コーナーに話かける。仏壇ってきっとこうして生まれたんだな、とか思う。そこにあなたはいなくても、手を合わせたり話かけたりしたいんだ。
ネムの花
いつもの散歩道にネムの花が落ちていました。まだ色も形もしゃんとしていて、そのまま捨て置くのは惜しい愛らしさです。白い鳥の綿毛を先端だけさっと紅色に浸したような見事な自然の彩色。時折出会う自然の美しさにこうも心惹かれるのは、年のせいでしょうか。
さかのぼってみれば、このブログの初投稿が2010年。初めて手にした一眼レフを額に押し当て、スカートの裾を水たまりに浸しながら道端の紫陽花を撮影していたあの日の自分を、昨日のことのように思い出せます。
あれから11年。
人間的な成長は止まったまま、歳月ばかりが重なったように感じています。京都から奈良に住まいが移り、手をつないで歩く人が変わり、リードを引きちぎらんばかりに駆けた飼い犬はひと回り小さく細くなり、5cmの段差を降りるのもためらうようなりました。毬のような仔犬を迎えた時にコーギーの平均寿命を調べ、じゃあ私は38歳か、遠いなぁと笑った未来をすでに通り過ぎ、私は今年39歳になります。
そっと手のひらに包んだネムの花は体温で萎れ、どれだけ大切にしていても変わらぬまま留めておけるものはないのだと、ぼんやり思うのでした。
個展とNetflix
夫が個展の準備に追われている。私が手を貸せるのは作品ができて、何を出展するのか決まってからなので、夫がシリアスな状況にあっても今はコミットできることは何もなく、ただ日々の食事を整えたり部屋をきれいにしておく、といったいつもの家事をより丁寧にする以上のことは特にできない。手伝えないもどかしさが半分、もうちょっと前から動いてくれてたらなぁと言うのが半分くらいである。夫は1年に3回の個展をするのだけど、毎回個展前は死にそうになっていて、個展が終わると人が変わったように明るくなって釣りに山遊びに庭仕事に、つまり本業以外のことに精を出す。これが1、2周間くらいのことならいいのだけど、ぽわっとした状態が1ヶ月半ほど続いてしまうのだ。個展はだいだい3~4ヶ月間隔なので、残り2ヶ月強で次の個展の準備をすることになり、正直ギリギリなスケジュールであるから、残りの2ヶ月強はほぼどこにも出かけられず仕事に追われ、個展前にはやっぱり死にそうになっている。メリハリがあるといえば聞こえがいいけれど、会社員として働いたことのある私から見ると、恐るべき計画性のなさだな、と思う。個展後1週間はごほうび的に自由に遊ぶとして、その後は仕事と息抜きをバランスよくできれば、心身ともにもう少し健康に創作できそうだけれど。とはいえ、私自身は作家として生きたことはなく、絵に描いた餅かな、とも思う。とりあえず私は2週間ほど前に念願のNetflixに入会してしまい、あれも見たいこれも見たい、という状態なのだけど、死にそうになっている夫のかたわらでぼーっとTVを見ているのもバツが悪く、お片づけ界におけるこんまりのフレッシュさについて熱く語るのも完全に空気読めてない感じなので抑えていて(しっかり見てる)、なんとなく私も家事頑張っているよ感をだしつつ、悲壮感あふれる夫に合わせ、シリアス成分を2割増しした顔つきを心がけて暮らしています。
雑記
夕方、夫と連れ立って家の近くを散歩していたら山椒の木があった。野良の山椒だ。まだ若い葉を、被っていた帽子にいっぱいになるまで摘みいれたら手のひらが山椒の香りになった。手が山椒になったよ、と夫の鼻先に差し出すと、こっちの手も、と今度は私の鼻先に大きな夫の手のひらが差し出された。子どもみたいだなぁと思う。子どもみたいなやり取りを、ここに来てからたくさんしてきた。暑いねーとか、空が青いねーとか、そんなどうでもいいことを言うと、暑いねーとか雲ないねーとかどうでもいい、こだまみたいな答えが返ってくる。
私たちは、日々いろんなどうでもいいことを、言葉を頭に浮かべて、だけどどうでもよすぎるからそれを誰に伝えるでもなく忘れていく。1人でいると本当にそうだ。散歩のとき、ごはんのとき、映画を見ているとき、お皿を洗っているとき。
別にそれを気に留めたことはなかったけど、こだまみたいに返ってくる言葉に私は確実に小さく救われているような感じがする。彼も、そうなんじゃないかとうっすら思っている。おもしろくなくても、気がきいていなくても、意味がなくても、発言していいし手を伸ばしてもいい人が近くにいるというのは、それだけで自分の心を少しだけ強くする。
鼻先に表れた手のひらからは、山椒の鮮烈な香りと一緒に、さっきまで彼がこねていた土の香りがしていた。そのにおいを吸い込んだら、夏はもうすぐそこまできているような気がした。
雑記
もう何年も前のことになるのだけど丸谷才一の「笹まくら」を読んだ。すばらしい小説で、読んでいるときはもちろん、その後もずっとその物語が自分から離れていかないような感覚がある。物語は戦中、徴兵から逃げた男の話だ。赤紙が来たその夜に家を抜け出し、そのまま終戦までを放浪して暮らした男。その男は戦後、大学の事務員として働き、結婚もし、子どもも生まれてそれなりの普通の暮らしをしている。だけどあの日逃げ出したことがずっと負い目となり男はずっと何かに追い詰められたかのような心持ちで暮らしている。そんな暮らしはだんだんうまくいかなくなる。最初は1章ずつ過去と現在を行ったりきたりしていたが、後半になるにつれその間隔は狭くなり、最終盤には章立ても行あけもなく過去と現在が入り乱れる。ただ振り回されるように読み進め、読み終わった直後は放心状態。しばらくして私に残ったのは、遠ざかったはずの過去が時がたてばたつほど身近に迫ってくる恐怖だった。
遠ざかって薄れていくはずの過去が、その取り返しのつかなさゆえにむしろ段々と近づき迫ってくるという感覚だけがべったりと張り付いてしまっている。過去にとらわれるな、変えられるのは未来だけだというけれど、この先どんどん過去ばかりが拡張して変えられる未来は縮小していく。変えられると思った未来が過去に塗りつぶされて、逃れられると思っていた過去が気づけば背中に重く張り付いて、身動きがとれなくなるんじゃないのか。そんな怖さがあの小説を読んで以来離れなくなってしまった。
ただ、今、ここ。
そんな風に生きれたらきっと楽なんだろうなと思う。過去への執着も、未来への希望も持たず、ただいまここだけを懸命に生きる。
話は変わって、私は来年いま住んでいる場所の横に家を建てることになった。いまの二人が建てられる小さくささやかな家だけど、それでも私にとっては大きな買物であり、いままさに背負おうとしている過去という感じがしている。どんだけネガティブなんだよという感じもするけど、これまで住んできた家はみんな実家も下宿先のアパートも就職してから住んだ母持ちの分譲マンションもいつかそこを出ることが前提の「家(仮)」だったことを思うと、なんかすごいことを決断しちゃったな、みたいな気持ちになる。しかも実際には決断というより、行きがかり上そうなったみたいなところもあるし。だけどそれが怖いからと逃げ出したら、今度は逃げたことが逃げられない過去になる。何かを選ぶということは、何かを選ばなかったということなんだ。当たり前だけど。(のっちのインタビューを思い出した)
改めて、いまここ、と思う。これまで通った無数の分岐点で行く先を選んで立っているいまこの場所。これから先も、どこに行くかはわからないまま何かを選んで何かを選ばずに進むしかなくて、その度にいろんな感情が去来するのだろうと思う。願わくば、あの時選ばなかった人やことやものを、それでもせめて時々思い出していたい。それが呪いだとしても、手に入れたものだけでなくて手放したことで得た今なのだということを忘れずにいたい。手放したけれど、今の私に繋がるものなのだと思い続けていたい。