いのちの星


お母さんの手もだいぶ年取った感ある


帰り道、西に向かって自転車を漕いでいくと明るい星が視界に入ります。宵の明星。冬の夜空で最も強く輝く金星。


高橋源一郎の5歳になる息子は、輝く星を見て「いのちの星が燃えているね」と言ったのだとか。アンパンマンに出てきたセリフの引用らしいのだけど、わたしは子供にこんなこと言われたら涙ぐんで力いっぱい抱きしめてしまうかもしれません。小さい子供は、なんであんなに爛々と燃えているんでしょう。不思議。


小学生の頃、視力が落ちてきた私にお医者さんが毎晩星を数えるようにと言いました。庭先で星を探す私に、父が毎回差し出したのは双眼鏡で、双眼鏡を使って星を見たって視力はよくならないので、私は結局眼鏡を作ることになりました。
眼鏡と双眼鏡ごしに見た星は、明るさが一定のリズムで強くなったり弱くなったりしていて、小学生の私には星がどくどくと脈打っているように思えました。星にも寿命があると知ったのはその少しあと。そりゃそうだと思いました。そりゃそうだ。だって、星はあんなに力強く鼓動しながら生きているんだもの。


うちの犬は最近よく寝ます。前からよく寝るけど、もっと寝るようになりました。よく考えると、今年で8歳になるのでもう折り返しなんですね。
犬のお腹に手を当てると、すごい速さで心臓が動いているのがわかります。ぐだぐだ寝てるだけのくせに、こんなに一生懸命心臓を動かす必要があるのだろうか。だらりとソファで横になる犬を見ながら、ビデオを買おうかな、とぼんやり考えて、そんなに急がなくていいからねと心の中でつぶやきました。

それはきっと魔法みたいにおいしい


奈良の「焼き菓子専門店 アルカイック」のカップケーキとチャイ。
北欧系のお皿は敬遠しがちなんだけど、ARABIA「Koralli」のカップ&ソーサーはかわいいと思う


奈良のbolik coffeeでおいしいクスミティーのチャイを飲んでいたら、11月にスガマチ食堂で買ってきた「自家製チャイマサラ」をまだ使っていなかったことを思い出しました。

小さな片手鍋に牛乳と水を1対1、紅茶の茶葉とスパイスを入れて火にかけて、沸騰したらフタをして5分。キッチンを、リビングを、部屋の隅々を、甘くてスパイシーな香りが満たしていきました。

「チャイ」とわたしの出会いは中2の時で、漫画の中に出てきたのが最初だったと記憶してます。かわいくて生意気な女の子が「こないだ飲んだチャイってどうやって作るの?」と聞いて、誰かが「ミルクティーにジンジャーとかシナモンとか入れて煮るんだよ」みたいに答えた、たったひとコマふたコマのシーン。*1

そのあと、セリフにあった説明だけを頼りに作ったチャイはぜんぜんおいしくなかったけれど(そりゃそうだ)、それは自分の作り方がまずかったせいで*2、本当はきっととてつもなくおいしい、魔法のような飲み物に違いないと思っていました。結局、中3の神戸旅行で母と行ったインド料理店で飲むまでチャイは私の中で魔法の飲み物であり続けたわけですが、飲みなれた今もまだ、どこかに飛び上がるくらいおいしいチャイがあるんじゃないかなぁと思っているフシがあります。


*1:もう1回読みたいけど、漫画のタイトルも作者も話もぜんぜん覚えてない。桜沢エリカとかそっち系だったような気がするんだけど…

*2:それは実際にそう

彼女が泣いた夜

少し前、泣きながら夜道を歩く女の人とすれ違いました。年齢はたぶん私と同じか、少し上。小柄で、きちんとした格好をした、きれいな人でした。人目を気にすることもなく、ただただ悲しそうに涙を流して歩く彼女のことをとてもかわいい人だと思ったし、こんな風に泣けるのだから、彼女はきっと大丈夫だろうという気持ちになりました。

そのときにTwitterでも少し書いたのだけど、わたしは悲しい時には盛大に悲しがるのがよいと思っていて、それはなぜかというと15歳の失恋には15歳の失恋の、20歳の挫折には20歳の挫折の、30歳の別れには30歳の別れの悲しさというのがあって、その悲しみはたぶんもう2度と訪れることのない悲しみなのだから、ちゃんと味わっておくほうがいいと思うからです。

どうせ時間が経ったら覚えていたい悲しさだって忘れるし、消えてほしくない傷だって癒えてしまいます。それが救いでもあるし、時には腹立たしく思うときだってあるのだけど、どちらにせよちゃんと悲しんではじめて弔える気持ちというのがあるのだと、そんな気がします。

彼女を見たのはもう1ヶ月ほど前のことですが、今でもときどき、あの女の人はもう笑っているかなぁ、今頃はごはんをおいしく食べられるようになっているかなーと、考えます。それで、でも私は彼女じゃないからまたすぐに忘れます。

転職とお弁当生活

最近とても忙しくて、インターネットをする時間がなかなか取れません。ちなみに忙しい理由は私が転職したからです。取材をしたり文章を書いたり校正をしたりする仕事から、うつわを売る仕事に変わりました。お給料は下がりますし、お休みは減りますが、好きなもののそばで働きたくなったのだから仕方ありません。ただ、忙しいといってもそれは気分的なもので、労働時間は転職してぐっと短くなりました。

転職はいろんな偶然が重なって、びっくりするくらいスムーズに進み、なにかに導かれているような気さえしました。なんでもかんでも「これもなにかの縁だね」で片付ける人があまり好きではないのですが、不思議なくらいすべてのタイミングががっちりとあって、「これはなにかの縁ですね」というしかない感じ。

そして、オフィス街にあった前の職場と違い、まわりにランチに行くお店があまりないのでお弁当生活になりました。テンションをあげるため、お弁当箱も新調。選んだのは工房アイザワの2段式のもの。ステンレスなので手入れが簡単で清潔に保てるのと、フタ部分にパッキンがついていて汁もれの心配が少ないというのが決め手になりました。

最近作ったお弁当はこんな感じ。


まだ新しい職場に移って1週間ほどで、お弁当もまだぜんぜん作っていないのですが、面倒で仕方ないと思っていたお弁当作りは意外と楽しいです。ただ、お弁当に向くおかずと向かないおかずの区別があまりついておらず、豚肉の脂がごっそり白く固まっていたなどの失敗も…。とにかく何もかもまだまだこれからなので、まずは何も考えずにやるだけやろうと思っています。

最近買ったうつわ


木工作家である新宮州三さんの蓋物。幾一里で開催されていた個展に出ていたものを、漆の色を変えて作っていただきました。外側が錫粉を混ぜた漆で塗られていて、一見すると陶器のように見えます。内側はややマットな黒色の漆で、蓋を開けると外と内の質感の違いが楽しめます。



欧州のアンティークっぽい長峰菜穂子さんのドレーププレート。貫入に渋色をつける渋染めという技法が施されているようで、それが古物っぽい雰囲気につながっています。とても使いやすいお皿。



掛江祐造さんの小皿。先日初めて掛江さんの作品を拝見したのですが、見た瞬間、これ買う!と思いました。力のあるうつわに出会うと本当にうれしくなります。購入したお店にはこの1種類しか掛江さんの作品がなかったのですが、他の作品もぜひ見たいです。




このふたつはけっこう前に購入していたのですが、まだ紹介していなかったので。左は恵文社生活館で、右は六々堂で購入しました。山本哲也さんの長角皿はなんとリバーシブルで、写真は裏側を使っているときに撮影したもの。反対側はこちらにちらりと映っています。山本さんは村田森さんと同じ京都精華大学陶芸学科を卒業されて、卒業年は1年違い。実際親交もあるようで、六々堂にはおふたりの作品が仲良く並んでいました。


名古屋の友人と寺町あたりを歩いていたときに、ふと寄ったお店で開催されていた飯野夏実さんの個展で購入。料理を盛るより飾っておきたくなるような作品が多かったのですが、箸置きならば取り入れやすいかな、と思って持ちかえりました。中華や洋食のときに食卓にあげたい感じです。