桃を食べるためのうつわ

すでに梨やいちじくが出回っているというのになんですが、今年の夏は桃ばかり食べていました。わざわざ和歌山くんだりまで出かけて「あら川の桃」というのを16個買ってきて、それがとてもおいしかったので今度は岡山の清水白桃をネット通販で6個買って、それ以外にスーパーやデパートでおいしそうな桃があれば買って…とざっと数えて30個近い桃をほぼ一人で消費したのだからたいしたものだなーと思います。

桃はまるっと1つ食べてもカロリーって100kcalくらいのようで、味よし香りよし姿よしでさらに低カロリーとか、なんという夢食材…と感動していたのですが、あまりに感動しすぎて桃用のうつわを買ってしまいました。上の写真で桃を盛りつけているのがそれです。

梶なゝ子さんの磁土舟形焼〆鉢。梶さんは滋賀で磁土を使った作品ばかりを作っておられる方で、ろくろを使わず手びねりで形を作るのだそう。磁土焼〆の卵の殻みたいな質感の肌にぽこぽこ残った指のあとが柔らかく響いて、それがとてもかわいいです。また、光にかざすと薄いところに光がすけるのですが、その不規則で柔和な陰影がとてもきれいでつい見入ってしまいます。

桃に感動してうつわを買ったなんて言ったけれど、実際にはこのうつわを一目見た瞬間に桃を盛りたくて仕方なくなってしまったのでした。翌朝、さっそく桃を半玉むいて盛りつけたところ磁土の清潔な白に桃の淡いピンクのグラデーションがそれはもうきれいで、しかもサイズもぴったりで、これはこの夏桃を心ゆくまで食べろという神のお告げに違いない…!と大変満足したのでした。

さぁ、次は梨を食べまくろう…!



別の日にはフレッシュの桃と桃のグラニテ、桃のジャムを一緒に盛りつけました。桃かわいい…。

桃ジャムも作りました。容器は奈良のガラス作家・津田清和さんの蓋物。これも超便利

ものの言いかた


犬は餌をチラつかせとけばいいので簡単です(おやつをガン見する犬)


壊れやすいものを扱うお店に勤めているのだけど、「小さい子どもを連れたお母さん」がけっこうきます。子どもはもちろんうつわにはなんの興味もないから、入って1分も経たないうちに飽きて帰りたがるか、店のなかを遊び場にしようとするかして、パタパタと走り回ったり並んでいる作品を手に取ろうとしたりします。

中には1つ数万円もするようなものも置いてあるので、お母さん方は必死で子どもをおとなしくさせようとするのですが、たいていの場合それはあまりうまくいきません。

ほとんどのお母さんは子どもに向かって「触っちゃだめよー」「走らないでー」と言って手をつなぐのだけど、効果はほとんどないかあってもほんの1、2分の話で、しばらくするとうつわに向かっているお母さんの興味関心を取り戻そうと奇声を発したり足にまとわりついたりして結局お母さんはゆっくりうつわを見られないままお店をあとにします。


そんな中、先日店に入って数秒で飽きて走り出そうとした子どもに向かって「抜き足…?」と言ったお母さんがいました。

その瞬間、子どもは挙げた足をぴたりととめ、そーっと床におろし「差し足…!」と応えて、そのあとしばらく「抜き足、差し足、忍び足」といいながら、牛歩戦術よろしくゆーっくりゆーっくりと店の中を歩き始めました。お母さんは「おっ、わかってるじゃん!」と言ったあと、時折子どもの動きを確かめ「今のちょっと早かったんじゃない?」とか「そんなんじゃ見つかっちゃうよー」とか適当に声をかけつつうつわを選んでいました。

ユーモアがあってエレガント。素敵なお母さんだと思いました。

子どもに限らず人になにかをしてもらいたいときに(あるいはしてほしくないときに)、どう伝えるかはけっこう難しくて、わたしはけっこう言葉尻がきついというか雑にものをいうほうなので、度々人を傷つけたり火に油を注ぐ結果になったりしてきました。だから、こういう賢しい人を見るといいなぁと思うし、なるほどねーと感心します。とりあえずこの出来事も心にメモメモ。



おまけ。祖母がかける掃除機を恐がってベランダに避難する犬

ギーを作ってみました


少し前に、ギーを作りました。
ギーというのはバターを精製したもので、澄ましバターをインド風に言ったものです。
インド料理に欠かせないものらしく、私の大好きな京都のインドカレー屋さんのナンにもギーがたっぷり塗られています。(インド料理がけっこう高カロリーなのはギーのせいかもと思った)

作ろうと思ったのは、最近購入したレシピ本で「ギー」が頻出していたからで、その本によると野菜だけのスープもギーを入れるとコクと旨みが増して満足感のある仕上がりになるのだとか。へー。

ギーの作り方は至って簡単で、無塩バターを弱火で熱しながら浮いてきた不純物をせっせと取り除いて、最後にきれいに濾せばできあがり。ネットで見たら、不純物は浮いてくるままにして、最後に一気に濾してできあがり、というさらに手間いらずなレシピも多数ありました。完成品の写真を見たところ、仕上がりにそんなに差があるわけではなさそうなのでどちらでもいいと思います。

今回、珍しく作る工程も撮っていたので載せちゃう…!

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手袋は探さない

一昨日の夜、手袋を落としました。

え?まだ手袋つけてたの?と思われるかもしれませんが、つけていました。自転車通勤なので夜帰るときに気温が低くなって、手が冷たくなるのが嫌だからです。だけど一昨日の夜、さすがにこいでるうちに暑くなって、途中で脱いで上着の左右のポケットにそれぞれ片方ずつ突っ込んでおいたら、いつのまにか右のポケットが空になってました。あそこで落としたかも、と思い当たる場所はあったし、そこは気づいた場所からそれほど遠くなかったのですが、私はそのまままっすぐ家に帰りました。

私には昔からこういうところがあって、ものに執着というのがありません。ほしいものは我慢できないくせに、手に入れたものがなくなることには無頓着で、それがどんなに大事なものでも、どんなに間抜けな理由でそれが失われてしまったとしても、案外平気で忘れてしまって、ケロリとしているのです。それどころかむしろ、なくしたことで新しいものに出会えるチャンスを掴んだような気になって喜んでいるような節もあります。


こんな風にして30年近く生きてきたので、実際わたしの手元には長く持ってきたものというのがほとんどありません。今部屋をぐるりと見渡したところ、10年以上持ち続けているものは無印良品のペンケースくらいしかありませんでした。18歳の頃、ボールペンのインクが漏れてその時使っていたペンケースがだめになったため、近くのコンビニで買って中身を入れ替えた、なんの思い入れもないものです。その時はまさかこのペンケースを30歳になるまで使っているなんて思いもしませんでした。いくつになっても大事に持っていようと20歳の記念に買ったダイヤのピアスは、その後2年ほどしてあっさり旅行先のホテルの排水口に流れていったというのに、皮肉なものです。
でもまぁ、人生なんて往々にしてそんなものなんだろうと思います。
吟味を重ねて必死で選んだものが、いつまでもわたしの近くにあるとは限らない。むしろ、何も考えずに掴んだものが長きにわたって一緒にいることになるのかもしれません。

最近買ったうつわ

中里太亀さんの湯呑を買って、安藤雅信さんのそばちょこを買って、内田鋼一さんのぐい呑みを買いました。3兄弟。いや、ちっとも兄弟ではないんだけど。少し前には古谷宣幸さんの種子島向付(種子島の土と窯で焼いたからこの名前らしい)と大谷哲也さんのティーカップを買っています。
うつわ屋さんに勤めたら、料理する人はお腹すかない理論*1でうつわをあまりほしがらなくなるのかなぁと期待していたのですが、むしろ勢いがついた感じでだいぶ景気のいいことになってしまっています。

そういえば、この前ラジオに出てた人が貯金は年収の2倍が目安と言っていて焦りました。まじか。それはまじなのか。


太亀さんの湯呑、こっちの写真のほうが実際の色に近い

*1:この前すごいボリュームの料理を出すビストロで食事をしたんだけど、帰り際に出てきてくれたシェフがかなり細身で、本当に細身で笑ってしまった

富井貴志さんの敷板/祖母の話

最近ごはんの話を書かなくなったのは、いま祖父母と住んでいるからで*1、夜ごはんは毎日祖母が作ってくれています。
夕飯を作るのが祖母である以上、うつわも祖父母が使い慣れたものがメインとなり、私のものはほとんど食卓にはあがりません。いままでの生活を考えたら、好きなうつわでごはん食べられないのって味気ないなぁとも思うのですが、数カ月のことですし、何よりまだまだ元気な祖母が掃除・洗濯・炊事を担ってくれているのは本当にありがたいことです。(あと、なんていうか…すごく、楽…)

ただ、やっぱり少しだけでも自分の好きなうつわを使う時間がほしいなぁということで、朝食用に富井貴志さんの敷板を購入しました。縁もなにもついていないシンプルな形で、本当はトレイのように使うのが正しいのかもしれませんが、私は写真のようにトーストを直にのせて使っています。焼きたてのトーストをぽんとのせても、ノミ跡のでこぼこでパンが浮いた状態になるのと、木が蒸気を吸ってくれるのとでパンがふやけたりしないのがうれしい。おかげで朝食の時間が劇的に楽しくなりました。うつわを買う醍醐味ってこれですね。

あと、余談ですが祖母のことを少し。
うちの祖母の掃除に対する情熱はすさまじく、冗談抜きに「ちょっと目を離したスキに床が掃き清められていた」とかそんな感じで我が家はいまピッカピカです。父が私の買ったルンバを強奪する際に言い放った「おばあちゃんがいればルンバいらないだろう」の言葉は嘘じゃありませんでした。私、おばあちゃんがいればルンバいらない…!

*1:なぜ一緒に住んでいるのかというと、祖父母の家を2世帯に新築するからです


京都市動物園のペンギン。「わたしは寒いままでいいです」

3月のはじまりって、いよいよ春だねってちょっと気分がふわっとする時季だったのに、それだけじゃなくなってしまったんだなぁと、インターネットにあふれる「もうすぐ1年か」の言葉たちを見て思った。

でも、手袋を外して自転車通勤ができるようになるのが私はやっぱり待ち遠しい。窓から入ってくる春にうとうとしたり、柔らかなスカートに足を通したり、早くしたい。早くもっと暖かくならないかなぁ。